静かに 徳利一本の酒を一緒に飲みたい気がする
父は今の愛知工業大学の前身の夜間の電気科を卒業していると聞いていた。今の電気主任技術者1級に相当する免許(当時:甲種)を持っていたのに、戦後の混乱で更新する作業ができなくて、その免許証を前に残念がっていたのを覚えている。丁度、三重大学工学部電気工学科に入った時の思い出である。
日本国有鉄道に入り、客車担当であった。定年前には、なりたくないと言っていた助役になって、当時は、国鉄の労働組合が強く、その間で苦労していたことを覚えている。
家では無口であるが、外では、たいへん愛想がよい。かつ、身ぎれいでおしゃれ感覚があった。また、今でも、父を知る近所の人から、父はイケメンであったのにと面と向かって言われている。失礼極まりないと思うのである。
海釣りが趣味であった。小学校や中学校のとき、しばしば釣りに誘ってくれた。一人で釣りに出かけることは終ぞなく、釣りの面白さは感じたが、伝授には大いに失敗していた。
高校の時、公民館の講座の中で、伊勢一刀彫で有名な中村良記先生の彫刻を受講したが、父を誘い一緒に受講した。その時以来、父は良記先生のもとに通って、かなり腕を上げていた。
良記先生が亡くなり、長年取り組んでいた伊勢一刀彫をやめ、篆刻をするようになった。
雅号を『鉄石』や『道石』と名乗った。長年の鉄道勤務からヒントを得たようである。
晩年、後腹膜腫瘍を患い、大手術をした後、リハビリに励み、左半身が不自由で四点杖を使いながらも復帰をした。しかし再発し、最後はホスピスで八十三歳の天寿を全うした。
医師と家族だけで打ち合わせをしているとき、遠くに見える父が、車いすに座って笑顔でこちらを向いている姿がいまでも忘れられない。
手術同意書・入院同意書などに『信じる宗教なし』『無神論者』と最後まで書き続けたが、極楽浄土には行ったと思う。
亡くなった後の、遺品整理をした。鉄道員らしく無駄なものは一切なく、きちんと整理整頓されていた。愛用のパソコンから篆刻の情報など、インターネットから取ってはファイリングしていた。
家の面倒なことは、避けていたようだ。阿弥陀様の前で会う機会があったら、それからの家族の様子を話そうと思う。お盆で知っていると思うが、詳しくは知らないだろうから。
今は、静かに、徳利一本の酒を一緒に飲みたい気がする 。












