歳時記(3)


コロナ禍の中から

この一年は多くの行事が中止となり、こんな静かな大晦日も初めての経験である。
コロナ禍の中から何が生まれるのか。
デジタル社会への移行により、移動しなくても集まらなくても用が足りるという便利な世の中。
しかし、便利だけが人類の進歩であろうか。

その便利なデジタル社会への反論が許されない風潮。

デジタル社会という共同体の形成と同時に失われていくものは果たして無いのだろうか。
その問いに答えていくには試行錯誤も必要であろう。
しかし、それなりの慎重さと、自らがその解を見つけていくという自立と努力が必要であろう。

エッセイ(幻想という考え方)で記載した内容はその解につながる確かな一歩になると思うのである。


先ほど、新年が始まった。


試行錯誤の元年

初めてオンラインセミナーに参加をした。いわゆるオンラインデビューである。
〇〇県社会福祉士会〇支部主催のWEB会議用ツールZoomを使ったの研修会(2021/01/22)である。
支部長(女性S.K.氏)の巧みな会話とホスト操作にリードされ、参加者約21名の一人として研修をさせて頂いた。
全員の自己紹介から、最後の感想まで一時間半(19:00~20:30)の研修であった。

実は○○県社会福祉士会主催の基礎研修Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの事務局担当者である。
基礎研修Ⅰ・Ⅱ・Ⅲはそれぞれ1年間に及ぶ研修である。
2020年度基礎研修はコロナ禍で中止に追い込まれた。
2021年度は日本社会福祉士会の体制も順次整い、全国的に各県の社会福祉士会主催とするオンラインでの開催となりそうである。

経験がものを言うZoomで、如何なる研修となるか不安ではあるが、一方では楽しみでもある。
集合研修がZoomでのWEB研修となり、各グループ演習がブレイクアウトになり、そのグループのファシリテータもパソコンを通した関わり方に変化する。
基礎研修の講師もそれに関わるスタッフも、また受講者もWEB空間で向き合うことになる
集合研修でのさまざまな履修内容が、WEB空間で同等いやそれ以上に担保できるのか、これからの課題であろう。
「白黒言わずに、まずやってみよう。」である。

研修資料も一気にペーパーレス化が進むだろう。
事務机の背後の書庫も、急速にパソコン上のフォルダーに代わるだろう。

コロナ禍で一気に進むデジタル社会。
何が得られ何を失うのか。
その向き合い方が問われる。
それは、福祉だけの問題ではないだろう。

青鬼集落に住む夫婦が都市に住む息子夫婦にこう頼む。
「もし具合が悪くなったら、しかるべき病院へ、送ってもらえないかい」と。

しかし、その後もその夫婦は青鬼集落の暮らしを続けるだろう。

節分の願い

今年の節分はコロナ禍である。
従って、今年の鬼はコロナウィルスに比定することにした。

この鬼は従来の鬼ではない。
透明になれるマントを被って、しかも、自分を鬼だとは思っていない。
これは厄介な強敵である。
青鬼が多いが、たまに異国のパワーアップした赤鬼が紛れ込む。
この鬼に対抗するには、最終的に安倍晴明のお札を貼ってもらうしかないらしい。
しかし、このお札は外国製であと数ヶ月の待ち状態である。
それまでは、何も悪い事はしていないのに、東国の女長官はひたすら蟄居(stay home)を要請する。

しかし、時代は現在である。
学生は遠隔授業になり、仕事はテレワークになり、恋人はLINEで愛を語り合う。
不満はあるが、SNSで何とか社会は動いていける時代になった。
それでも、日本は節分で鬼退治のセレモニーを続ける。

今年、我家の豆は外用と内用とで区別をした。「鬼は外」は例年の単体の豆、「福は内」は三角すい小分けパック10粒入りである。
これで、清潔な豆を口に入れることが出来る。
追加で、○の観音さんの名物”鬼押え節分”である日本の誇るフォーチュンクッキー福引せんべいも用意した。

「鬼は外・福は内、鬼は外・福は内、鬼は外・福は内」それぞれ家族・日本・世界の無事を願って豆をまく。

ともやま公園

今日は久しぶりに晴れで穏やかな日となった。
最近、リアス式海岸に点在する展望台を巡っている。
従って、昨年、鵜倉園地の展望台を訪れたあと、時間がなくて寄れなかったともやま公園の桐垣展望台を選んだ。
二見の「民話の駅 蘇民」で弁当といつもの美味しい草餅を買い求め、到着までしばしのドライブであった。
到着したら、上空に鷹か鳶か、雄大に円を描いていた。
穏やかな日差しの下で、弁当を食べ、草餅に舌鼓を打ちながら海に浮かぶ島々を眺めていた。
突然、背後から前方に鋭く空気を切り飛び去る影。
その直後、
草餅取られた~~~
ちょっとしか食べてないのに~~
と妻
その声には、二人が出会ったころの懐かしい響きがあった。

昼から、ともやま公園内のウォーキングコース【干潟・展望台コース】を楽しんだ後、妻の高校時代の友人宅(in立神地区)を探しながら、帰宅をしたのである。



春を告げる花鳥

家族三人、河津桜を目指し、笠松池公園を訪れた。

ヒバリは空高く舞い上がり、”ぴーちくぴーちく” 春の到来を告げている。
メジロは枝から枝へ飛び跳ねて、春のよろこびを告げている。

あ~、春がまた来た!
「春がまた来るたび ひとつ年を重ね
 目に映る景色も 少しずつ変わるよ~♪」
『人生の扉』の歌にも似て。


見習いホスト

見習いホストをさせていただいた。
ホストクラブではない。
Zoomミーティングを使ったWEB研修の見習いホストである。
万が一と思い、コメントしたまでのことである。

初めてSV(スーパーバイザー)ホストY氏の操作を目にして感じたことは、会議の『場』を読んで、その瞬間に如何に今までの知識を総動員して必要な対策を操作に結びつけていくかが勝負であり、その実践の場を幾つ踏むかによって適切な進行と安心感を与え得るということである。
それには、可能な限り想定できる『場』を自ら考え、それに対する適切なシュミレーション操作を積み重ねるしかないのではないか。それを一つ一つ実践において鍛錬することにより、何の迷いもなく操作ができるようになるのだろうと思ったのである。
忙しい中、SV(スーパーバイザー)ホスト役を引き受けてくださったY氏に敬意を表したい。

これで、ホストという役割が良く分かり、すべての駒がそろったのである。
〇〇県社会福祉士会主催の基礎研修Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの事務局担当者として、 長い1年間が始まる。


35回目の雛飾り

左右にぼんぼり
後ろに金屏風
下に青鬼集落のジオラマ

今年は豪華になった!



LINE

出始めの頃から問題視されていた
AIはLINEの情報から人を丸裸にする

妻の同調圧力
横目で見ながら 今も繋がりたい (-_-;)

でも 古代から  AI()ー() LINE通信
これからもこれを使おう

松坂城跡の夜桜

LED投光器を使って、石垣に映し出されたもの。
それは松坂城を築いた戦国武将『蒲生氏郷』の家紋「対い鶴(むかいづる)」だった。
夫婦和合を意味する。

  対い鶴





楯ヶ崎の春

運動不足がなんとなく心に伝わり、何処かに行きたいという衝動に駆られる。
変異コロナウィルスの驚異的な蔓延で、人のいない所が選択の条件だ。
昨年、妻は友人グループで楯ヶ崎に行ったが、その写真を思い出した。
楯ヶ崎は駐車場から二つの山越えて行く、運動不足にはもってこいの目的地であった。

旬のタケノコご飯をおむすびにして、翌朝(4月11日(日))早く出かけたのである。
尾鷲を越えて直ぐ賀田ICで降り、国道311号を暫く走ると目的地である。
驚いた!楯ヶ崎駐車場には神武天皇に関係する伝説地を示す碑があったのだ。

記紀神話によれば、神武天皇は東征のおり、河内湾からの上陸を長髄彦に阻まれたため、迂回して紀伊半島の南部に上陸。そこから陸路で奈良盆地へと攻め入り、橿原で初代天皇に即位した。
なんと、紀伊半島の南部とは、この地だと言うのである。

駐車場から探勝歩道(というかハイキングルート)を約30分歩くと、二木島湾へ辿り着く。
さらに進むと鳥居が見える。近くにはヒスイ色の海が広がっていた。
阿古師神社というらしい。案内板には神武天皇東征の際二番目の兄と三番目の兄が遭難し、三番目の兄三毛入野命を祀ったのが阿古師神社という。
こんな刺激的な地であるなら、もっと事前に調査してくればよかったと、大いに後悔したのである。
神社から20分ほど進むと、千畳敷に到着した。
巨大な玄武岩の柱状節理であった。

雄大な風景に、もう言葉は意味をなさないので、以下の写真に譲る。
(コメントには後ほど調べたことを少々付け加えてある。)

この後、尾鷲湾を見渡せる大曾根公園に立ち寄り、帰宅したのであるが、その大曾根公園の出来事は私にとって事件であった。


藤棚「かざはやの里」 2021/04/23

母親を「かざはやの里」にある藤棚に誘った。
シルバーカーをゴルフカートの後部にある荷物台に載せてもらう。
ゆっくりとした速度で左右に揺れながらカートは進む。
途中で運転手に入園受付をしてもらい、前方の丘の上に到着した。
そこは、多種多様な藤の世界であった。


新垣結衣と星野源一の結婚発表  2021/5/19

「これからも互いに支え合い豊かな時間を積み重ねていけたらと思っております。」( 星野源 新垣結衣連名メッセージ)
「これからは二人で力を合わせながら、穏やかに生活を営んでいけたらと思っています。」( 新垣結衣メッセージ)
「これからも変わらず、共に穏やかに、ささやかながらも豊かな毎日を送ることができたらと思っています。」( 星野源メッセージ)
連名メッセージの「豊かな時間」、両個人メッセージには「穏やか」が含まれる。
そこには、二人がお互いにその関係を続けていきたいという意識的あるいは無意識的な思い が溢れている。(対幻想だ!)

しかし出産・子育て・旅立ち・二人暮らしと夫婦のステージは刻々と変化していく。夫婦はお互い"互殺の和"を理解しなくてはならない。
結婚式に二人はきっと誓うであろう。「私○○○○は□□□□を妻(夫)として迎え順境にあっても逆境にあっても病気の時も健康の時もあなたの夫(妻)として生涯愛と忠実を尽くすことを誓います。」と。
これは「あなたの心と四つに組み、自分の心をも四つに組み、少しでも力を抜けば瓦解する。そのような不断の営みを生涯つづけます。」と同じことを相手にそして神仏に誓っているのではないか。
自立した個人として「個人幻想」を持てといっているのではないか。
「個人幻想」を持ち続けない限り、相手に対する尊敬(リスペクト)も芽生えてこないのではなかろうか。
互殺の和とは、個人幻想とは「エッセイ」というページの中の「幻想という考え方」という項目に記載した。

いずれにしても、夫婦が抱く対幻想を生涯持ち続けるたの個人幻想は、夫婦だけの範囲を越え、あらゆる関係(共同体)を正しく見通す目を育てる唯一無二の方法と思うのである。デジタル社会という共同体、外から見て判断するのは比較的容易だ。しかしその中にどっぷり浸かりながら考えていく方法は、上記以外考えられないと思うのである。

丸山千枚田とその周辺 2021/05/29

昨年の今頃を思い出す。
やはり今年もコロナ禍である。オーナーの田植えは中止となり、村人が代わって田植えをする。
菅笠とTシャツを着て、小型田植え機を操作しながら坂を登ってきた。足の泥から今日の田植えは終わったようである。
「こんにちわ」と挨拶を交わし、何とも清々しい朝である。
アジサイの花が咲き、モンシロチョウがひらひらと、人がいない春を楽しんでいる。
母親はしきりとらくらくホンで写真を撮っている。

丸山千枚田すぐ下の紀和鉱山資料館を訪れた。
面白い館内の案内人と数多くのジオラマと鉱物たちが、かつて日本をささえた産業を余すところなく伝えている。

帰路には熊野の花窟神社を参拝した。
お綱茶屋の一角で新姫ソフトを食べ歩いたら、店員の若い娘に「マスクをしないで、食べないでください。」と注意された。
「マスクをして食べれるか」と恥ずかしい言葉は飲み込んで、「あっ、ごめんなさい」と言いながら、紀南はコロナ対策が徹底しているなと感心したのだった。