歳時記(4)

伊勢型紙の青鬼集落から新年度の挨拶


昨年に引き続き新型コロナに翻弄されて新年を迎える。
食の安全保障・国防という安全保障・温暖化防止という地球レベルの安全保障。
コロナ禍は強いて言えば国防という安全保障になるのではないか。
先の大戦において、世界から孤立をした我国はその末路を知っている。
ワクチンの確保においても孤立は大敵であり、また自国で蔓延していなくても他国で蔓延すればいづれ我国にも蔓延する。
この教訓は国防そのものの安全保障戦略ではないかと想う。

そんなことは忘れて、里山の美しい我国の風景を心に描きたい。
その風景を伊勢型紙で表現できないかと思い立ち、拙作ではあるが年賀状にした。
伊勢型紙は基本的にその性質上、言わば白黒の世界であり、しかも濃淡の無い世界だ。
しかし、これには不思議な力が内在する。
例えば、里山の感じ方も、周りの景色を映し出す水の張った水田か、青々とした生命力溢れる株分け(分けつ)や出穂の時期か、それとも一面黄金色の収穫時期か、見る人の想像力に依るのである。
言い換えれば、見る人の想像力を如何に引き出すかという力量を問われるのではないだろうか。
従って、風景という上記の特性を踏まえたデザインの力量は、型紙を彫るという力量とは全くの別物であると思っている。
今回、その意味において初めてのデザインであった。
昨年のジオラマの風景伊勢型紙としてデザインし、木彫りの人形を夫婦の写真に置き換えてみた。
青鬼集落の表現として、デザインの力量不足はどう見ても否めない。

しかし、里山の輝きは、少しも色あせていないと想うのである。

上掲の白馬村に、白馬ジャンプ台が見えないだろうか。
実際この様に見えるのであるが、力量不足を隠すための目くらましである。

永遠の世界に旅立ったT氏

成年被後見人のTさんが亡くなった。
直腸がんの大手術をして(誰かの「人生」を想うとは)再び認知症による保護入院
介護老人保険施設を経て(1.ニコニコ顔のT氏)昨年の12月、終の棲家(特別養護老人ホーム)に入居(終の棲家となるか)(幸あれ)できたのに。
これからというときに、早すぎるのではないか。
家庭裁判所へTさんの死亡を連絡し、そしてTさんを引き取る手配をする。
特別養護老人ホームの玄関で、休日勤務の職員全員が合掌で見送ってくれた。
安置場所を確認した後、死亡届を提出する。
直葬で、かつ私一人での火葬を覚悟していたが、前日の夜にお孫さん(二人姉妹)から参列の電話が入った。
”よかったなあTさん、一番可愛がっていたお孫さんに立ち合ってもらえるよ”

お孫さんの分も花を買い求めたが、その心配は必要なかった。
二人のお孫さんは花とパンをたくさん持参し、棺から溢れそうだった。

火葬の間、成年後見人を受任してからの話をした。
お二人のお孫さんの目には涙が光っていた。
”よかったなあTさん、やっぱりお孫さんは本当におじいちゃんが大好きだったんだよ”

この後、お二人のお孫さんは、火葬後だけれど自分たちで葬式をしたいという。
”よかったなあTさん、前後するけどちゃんと葬式をしてもらえるよ。お骨も大小お持ち帰りしてくれるよ。”

さあ、Tさん!これからはお孫さんのご先祖様としていつも二人を見守ってください。

丁度80歳、お孫さんに見守られての旅立だった。


人生の節目

今年の3月末に社会福祉士会事務局を辞することに決めて、今日がその日であった。
社会福祉会館の玄関に別れを告げ、いつもの散歩コースに報告をした後、自宅に花籠が届いた。

人生の節目には思わぬことがあるものだ。
今日はこれ以上は書くまい。
みなさんとの思い出は、とても書き尽くせるものではないので。
ありがとうの一言にさせて・・・

「ありがとう」


陸上自衛隊〇〇駐屯地-開設70周年  2022/4/10(日)

以前、自治会長のおり、自衛隊観閲式の招待席(紅白幕の雛壇)に2回座ったことがある。
富士総合火力演習(2016/08/28)の規模とは比較の対象にもならないが、観閲式の後、空砲による小規模な演習もある。
今年も会場外での観覧だ。
今回は小さい子供を連れた若いお母さんや若い女性に目がいく。
彼女たちの夫もしくは恋人が、目の前の自衛隊員であろうか。
今起きている東欧の映像が、そう連想させたのであろう。

 

何故この時代にこんな目を疑う古典的な出来事が起きるのか。
大戦以後、すべての国で「常民の常識」として了解されていると思っていた。
いったい何を学んだのだ。
今日、目の前で展開されている演習が、TVの実像と重なる。

日本国民はこの忌避すべき現実に直面して、「我がこと」として70年を越える長い眠りから覚醒したであろうか!?。
又、世界中のリーダーには、「常民の常識」で最終判断をして欲しいと、子供でも分かる要求をしなければならないのか!?。
そうでなくては、我国を守れないし、世界は救われない。

ホモサピエンスは出来損ないの増幅器、滅ぶ運命の種(しゅ)、これ確定か?!・・・まったく・・・◞‸◟


もう一つの卒業

思えば「もう弁当作りは卒業ね」というつぶやきであったろうか。
私は”勤め”から卒業した。
結婚してから”この日”の40年間、もう一つの卒業である。
ありがとうで済むものではない。
その重みにおいて、これから答え続けていくものであることは確かである。


太鼓芸能集団 鼓童  2022/06/01(水)

今日は楽しみにしていた『鼓童』の公演である。
粋な向こうしばりの鉢巻きをした和太鼓の芸能集団だ。
創立40年になるという。
エンターテイメント性を前に出す和太鼓集団が多くなる中、比較的保守的な性格をもち、ストイックな生活の中で訓練をしているときく。
彼らの舞台は、霧の中の薄暗い神社の境内がもっとも良く似合う。
刻む太鼓のリズムは、次第に生命のリズムとなり、魂の躍動を生む。
大太鼓の独奏はもっこふんどし一丁の筋骨隆々とした男がバチを持つ。
彼の大太鼓の長い独奏から、即中太鼓の演奏へ参加し、更に小太鼓へ移り、再度中太鼓への演奏へ加わる。
その鬼神のような活躍を見ると、溜まりに溜まった乳酸をもエネルギーに変えている感があり、苦痛に歪む表情の何とも色っぽいことか。
会場も大いに盛り上がり、礼儀正しくお辞儀をするメンバーに最大限の拍手を送ったのである。
帰宅したらすぐ妻はその男の名前をネットで探している。
「もっこふんどしで判らないのか?」
「変態!」
以上終了である。
ちなみに彼の名前は中込健太だろうと妻は結論づけたのである。

頭上に掲げたバチを片手でくるりと回転させた刹那、両手で大太鼓に降り下ろす。
ー ズ~~ンと身体で感じる超重低音の振動 ー
暫くの間、ズ~~ン ズ~~ンと遠く小さくゆっくりと全身を覆うに違いない。


斎王まつり 2022/06/05(日)

第39回斎王まつりを見る機会があった。
というより、今まで見ていないのが不思議である。
というのは、次の地図上に妻の実家があるという場所であるからだ。
この斎王まつりで行われる斎王群行は、地元と全国の参加者募集によって行われる。
雅楽は皇學館大学の雅楽部学生が務めているようである。


禊の儀(【上園芝生広場】で京都桂川を見立て出発の際に行う禊の儀式)

実は、次の写真の右側には、姿は見えないが高級一眼レフカメラを構えた元気老人がわんさかといるのである。
彼らはシャッターチャンスとみると後ろにいる方々の迷惑を顧みず、まるで自分の思いを遂げるかのようにシャッター音を響かせるのだった。
その様子を見ていると、戦後の平和な日本を象徴するような瞬間に思えた。
しかし、自分もスマホを構えて平和な日本を満喫する同輩であることには相違ない。
問題はそれに気付いているか気付いていないかである。


斎王群行(【上園芝生広場】から【さいくう平安の杜】までのみたてルートを徒歩30分)

実際の斎王群行ルートは、京都を出発し、勢多甲賀垂水鈴鹿一志を通り斎宮に至る5泊6日の旅である。
上記ルートの垂水の地は史跡垂水斎王頓宮跡(滋賀県甲賀市土山町)として現存している。
また、その地は倭姫御巡幸における「甲可日雲の宮」の有力な比定地となっている。

いよいよ斎王群行は斎宮の手前の櫛田川にさしかかる。
歴代の斎王となる皇女は、この櫛田川で、自身の「櫛」を捨て、天照大御神に仕える決心をしたといわれている。


社頭の儀(斎王一行が斎宮に到着した際に行われる儀式)

会場は【さいくう平安の杜】である。
そこは斎王に仕えた役所・斎宮寮の中心建物三棟で、発掘されたその場所に平安時初期の姿で再現したものである。


その日、わが家の斎王は以下の体験をご所望であった。

【いつきのみや歴史体験館】(平安装束試着体験・貴族の日常体験・古代の遊びなどの体験が可能)にて撮影


ホタルの光り 2022/06/07(火)

昨年から多くホタルが飛び始めた。
今年のホタルは、「どんど川」の草に覆われた小さな橋付近に多く集まっていた。
そこは、小学生のころ、友人とよく遊んだ高道(たかみち)公園から崖下の「どんど川」へ降りる小道に架かる橋である。
(その友人は島根大から兵庫県の中学校教職員となり、地域の文化会館の館長を経て生涯教育の重職を担い、地域の神社8社を兼務する宮司である。いわば地域の名士となっている。)
その橋から川下に目を向けると、漆黒の川面の上に点滅を繰り返すホタルが飛んでいる。

午後8時頃から午後9時半頃まで雨の日を除く計5日間通い詰めた。
いずれの日も、顔の判別も困難な暗闇の中で、数名の地元の方が見えた。
自己紹介をすると、誠之地区社会福祉協議会の方々や用水路の畦道の草刈りを自らしてくれた農家の方々であり、妻は親しく話しかけその労をねぎらっていた。

以下の写真は、山出さんが亡くなるまで活動を共にしていた日比さん(左が日比さん。右が山出さん。)に提供していただいたものである。
当初、日比さんの努力にもかかわらず、どうしてもホタルの光りが映らない。しかし昨年記事にしていただいた新聞記者に再度登場してもらい、直々のアドバイスでようやく撮影に成功した貴重な写真である。


今年もホタルの記事が掲載された。
そのお礼の意味を込めて彼女の執筆した記事を以下に掲載す。


その後、2022/06/08(水)に妻は仲良し4人組でホタルを見に行った。
当然私は遠慮したが、現地の様子が不安で先回りをして確認をしに行った。
他の見学者は誰もいなかった。それこそ解散するまで、無事用心棒の大役を務めたのである。
ホタルは確実に数を減らしている。

翌日、見納めと思い出かけたが、やはりほとんどホタルは見かけない。
帰ろうとしたその時である。一匹のホタルが我々に近づいてきた。
見送りに来てくれたのだ。
「山出さん 来年またお会いしましょう。」

この瞬間、シーズンの本当の終わりを迎えたのである。

勤務を辞したその後

私の母親と妻の両親は高齢のため、少し生活に不便を感じる状態となっている。
妻は引き続き仕事をしながら両親を手伝い、私は事務職を辞めて成年後見人の仕事に専念し母を手伝ながら家事を少しずつ引き受けていくことにした。

さて、1日1回~2回の買い物だ。
「ぎゅう〇ら」店へ着いた。
自宅を出る前にメニューを決めて、食材を求めるのが普通と思うが、実際はそうはいかない。並べられた食材や値段に決心が揺らぐ。
豚の細切れが特売日で安い・・・となると、キャベツと新玉ねぎで野菜炒めにするか、新じゃがと人参で豚の煮っころがしにするかと迷う。
しかし、煮物の調理はまだ経験不足で、妻の助けが必要である。…とまたまた迷う…のである。
ふっと我に返えると、眼光鋭く食材にターゲットを絞る鷹モードから、哀れなおじいさんが買い物をしている憐憫モードに切り替わる。
しかし、最近は買い物をしている高齢者が多く、その後ろ姿にエールを送っている私がいるのである。

「ぎゅう〇ら」は3×3のマスが2つあるAとBのWビンゴが楽しめる紙製のカードを配布している。1日1マス押印(1回のレジ1,000円以上購入)してもらい、パーフェクト達成で500ポイントになり、レジにて即綺麗に包装されたピカピカの500円玉コインが支給される。←ここがポイント
1マス忘れても、お助けデー(1,000円以上購入)が2日用意されており、忘れたマスの箇所に押印してもらえる。
あと、お宝デー(1,000円以上購入で20ポイント)が2日、コ〇カ支払デー(1,000円以上支払で20ポイント)が5日用意されており、結局月曜と金曜を除いた日はいずれかのマスに押印してもらえる日になっている。
まったく、集客によくできたカードだ。思う壺と妻も言う。
今日はAビンゴの押印の日である。「支払はコ〇カカードで」と伝えつつビンゴカードを渡し、押印をさり気なく確認して無事買物は終了するのである。毎日の風景である。

内科、外科、皮膚科、眼科が今付き添いをしている病院だ。
お薬カレンダーに薬をセットするまでは難なくできるが、いまだに食後に薬を渡すことを忘れる。要するに昔から詰が甘いのである。
社会福祉士会事務局の勤務を辞してから、その勤務時間より数倍の労働をしているような感覚で毎日元気に過ごしている。(^^;

棚経(お盆参り)

お盆行事のお知らせが来た
本町は7月盆でしかも初日だ

今日あるは 先祖のおかげ 魂まつり
ご先祖様に喜んでいただけるように (下記 寺報より)

準備万端整いました
棚経も無事終了
長居して茄に乗ってゆっくり帰っておくれ


午後からの休日 (伊勢志摩スカイライン)2022/07/18(月)

久々に午後からお出かけする時間ができた。
おかげ横丁手前の駐車場近くにある「赤福」の店で今年初めての赤福氷を食べた。


伊勢志摩スカイラインの途中にある一宇田展望台から眺めた風景は、何と倭姫命巡幸地巡りを思い出した。
それは五十鈴川を遡り、朝熊神社や鏡宮神社や鹿乃見の地を巡ったときの旅である。
鹿乃見の川岸から見た絶景を思い出したのである。


金剛證寺は朝熊山の山頂にある空海ゆかりの古刹で、伊勢神宮の鬼門を守る寺としても有名である。金剛證寺の創建は欽明時代の御代(6世紀後半)、暁台上人によって開かれたと伝えられている。
「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」…と伊勢音頭の歌詞にも登場する標高555mの朝熊山。
以上観光の決まり文句である。
しかし伊勢志摩地方でよく知られている風習がいまもある。卒塔婆の供養林である。


奥の院へ行く道の両脇にはとてつもなく大きな卒塔婆が林立している。
奥の院には『卒塔婆の供養林』という立て札にその説明がされている。
死者の霊は「この世界にいるのか」「別の世界にいるのか」
ご先祖はどこにいて何をするのか
どうも、どこにいるのか決まった訳ではなさそうである。
しかし「我々はご先祖を敬い、ご先祖は我々を助けている」ということはどうも了解されているようにおもわれる。


それにしても立派な卒塔婆である。
これだけの柱を切り出すには大きな木を伐採するしかない。
高額な志納金も頷ける。


朝熊山頂展望台は来るたびに様子が変わっている。
こんなにも広かっただろうか。


郵便ポストがあっただろうか。
このポストを「天空のポスト」といってここから恋人にハガキや手紙が出せるという。
また「恋人の聖地」にはほうきが備え付けてあり、それをまたいでぴょんぴょん跳ねている女性がいた。
どうも彼氏が連射で写真を撮っているようだ。
2枚目の写真をみると、「天空の魔女」が種明かしのようである。

♪ 君と乗る 空飛ぶほうき 夏の空


売店にて


好きな俳優であるらしい。


朝ドラ/スカーレット再び 2022/07/23(土)

快晴だ。
かねてから行きたいと思っていた、かの朝ドラ「スカーレット」のロケ地信楽の地を訪れること。
そして同じ信楽町の甲可日雲の宮の比定地である高宮神社(信楽町多羅尾)と日雲神社(信楽町牧)を訪問すること。
今日は、以上を目標にお出かけ日ににしたのである。

「スカーレット」と言えば、主題歌「フレア」である。
タイトルの「フレア」は陶芸家の主人公喜美子が向き合う炎の“flare”と、自己表現や才能を意味する“flair”の2つを意味するという。
Superflyは「みなさんの中にもある“炎”を絶やさぬよう、ポジティブな炎を燃やし続けられるよう前向きな気持ちになっていただけたらうれしいです」とコメントしている。

では、喜美子の顔とメロディを思い出し、歌ってみよう。

フレア


私も涙に負けるものか!

♪ この日まで 揺らぐ残り火 夏の朝


信楽方面には御斎(おとぎ)峠を越して高宮神社(信楽町多羅尾)を参拝し中心街に向かうコースをとった。


御斎(おとぎ)峠の名前の由来は、「三国地志」によると、鎌倉・南北朝時代の禅僧、夢窓疎石(夢窓国師)が訪れた際、この峠で村人のお斎(接待)を受けたことによる。
また、御斎峠は 徳川家康伊賀越の道といわれる峠で、本能寺の変の後、徳川家康は忍者に助けられながら、命からがらこの峠を逃げ越えたと言われている。


御斎峠からは伊賀盆地の絶景を見渡せる(標高570m)。


高宮神社(信楽町多羅尾)は淡海国 甲可日雲の宮の数ある比定地の一カ所に当たる。

詳細は御巡幸地(6)の高宮神社(信楽町多羅尾)に記載)


高宮神社(信楽町多羅尾)から一気に高度を下げると、左は信楽の街、右は『鶏鳴の滝』である。
迷ったが右にハンドルを切る。
後でわかったことだが、ここは朝ドラ「スカーレット」のロケ地であった。
”10月12日7時43分に放送された朝ドラ「スカーレット」で、”喜美ちゃんが大阪に行く前、決意を固めるシーンの直前にこの『鶏鳴の滝』を通っていました”というコメントを写真付きでネットに投稿した方がいた。
下記写真を見比べても同じだ。 (秋:水が少ない、夏:水が多い))
凄いファンもいるものだ。


笹ヶ岳の山頂までには八つの滝があるらしい。
その中で一番大きいのが鶏鳴の滝で、各々の滝には上掲の写真の様に狸がガイドをしているという。(前の狸の方)


CAFE・REST-GALLERY-陶園でちょっと早めの昼食にした。
近江牛の丼というとっておきを選んだ。(柔らかかった。)
2階には信楽焼のGALLERYがあるのは、さすが信楽焼の地である。


昼食後まず、紫香楽一之宮 新宮神社に直行し、駐車をさせて頂いた。
奈良時代(七一五年)に創建された由緒ある神社だ。
祭神は素盞嗚命・稲田姫命・大山津見神で古事記でおなじみの神様である。


日本神話において素盞嗚命が詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」が日本初の和歌とされる。
本来あるべき夫婦の姿。直視!


丁度、鳥居を出た左が、旧信楽伝統産業会館でその先の大きな通りを過ぎた所が新しい信楽伝統産業会館だ。
スカーレットの舞台の展示は旧信楽伝統産業会館である。会期は令和2年7月10日(金)~炎が燃え続ける限り と下のパンフレットにある。
誰が考えたか、何とも言えない感じの良い表現だ。そこには信じて止まない熱い情熱があると思うのである。
穴窯の炎に向かう喜美子が見せたLASTシーンを思い出す。


わが家のフレア

 旧信楽伝統産業会館を後に、朝ドラのロケ地 丸窯陶業に直 行 。


この色つやを見るとは!
わが家に伝わる火鉢に違いない。

天然寺の本堂の前にある庭には夫婦と子供2匹の狸がいる。
その家族一同本堂に向かって手を合わせている。


どこの里から檀家になったのかと思ってはいたが、はるばる信楽の里山に抱かれた”ほうざん”からではあるまいか。
寝る間も惜しんで念仏に励むその姿は、とても真似のできるものではない。


ほうざんギャラリーで買い求めたお皿


本日7月23日(土)はコロナ禍で2回中止になった火まつりが3年ぶりに開催されるということが、当地のビラを見てわかった。
この火まつりはスカーレットでのシーンにも使われ是非見たかったが、家の用事もあり今回は断念した。

また、喜美子のモチーフであった神山清子氏の作品を見ようと新館の信楽伝統産業会館を訪れたが、すでにそこには陳列されていなかった。
そこで、その現在陳列・販売されていコーナーを持つ店を教えていただき、その自然釉の美しさを持つ陶器を堪能した。勿論鑑賞しただけである。

さて出発時間である。
近くにあるまだお参りしていない御巡幸地で淡海国甲可日雲の宮の比定地である日雲神社(信楽町牧)と御巡幸地とは無関係であるがその直ぐ近くの(常々行きたいと思っていた)紫香楽宮へ立ち寄った。
詳細は御巡幸地(6)の日雲神社(信楽町牧)に記載、続けて紫香楽宮訪問を記載)

今日の一日は長かった。よって、即行高速で帰宅したのである。