そして、いまも教えを乞うている
昨年(平成29年)亡くなった先輩がいる。
会社に入りたてのときの、直属の上司であった。
しばしば、妻と二人で家にお邪魔し、素敵な奥さんと智ちゃん・薫ちゃんというかわいい二人の娘さんとの家族ぐるみのお付き合いをさせていただいた。独特の話ぶりの庄司節を始め、家族の皆様の温かい雰囲気に浸っていた。
その後、私が四十歳になってUターンをしてからは、年賀状だけの付き合いになったが、ある日「ホームページを作りました」というメッセージが届き、それからは、メールでのお付き合いをさせていただいた。
庄司〇〇様 ご無沙汰しております。
すっかり健康も回復され、暑い日も難なく乗り切っておられると思います。
<中略>
添付しましたDVDは『阿弥陀堂だより』というもので、映画館で見て、夫婦ともども理由は違いますが、当時精神的に救われたと思っているものです。今でも時々見ております。(雨にもまけず…の詩も朗読されています。庄司さんは平和で引用されました。私はボランティアや福祉の講演で引用させていただきました。)
よければ、ご覧になってください。
では、またお便りします。 荒井隆夫
―庄司さんから【七十歳夏の帰省】というエッセイがメールとして送られて、胃がんによる長い闘病生活をされているということを初めて知らされる。
その返事には、三日間で書き上げた長いメールを送らさせていただいた。その返信には―
荒井隆夫様
心のこもったメールをいただきありがとうございます。
私の、永年お世話になったA社での最後の仕事は監査役でした。
監査役の仕事と言うのは、一般に不正を見つけ出す事の様に思われますが、経営者、部門長、社員の姿勢を観て(あるいは診て・看て)必要に応じてアドバイスする事だと思って勤めていました。
改めて「阿弥陀堂だより」でのポイントは「大事なのは『姿』だなぁ」とつくづく思いました。
全く別の世界になりますが
例えば、売上は元気、利益は自信、品質は信頼・・・などの様に分り易い言葉を使い被監査者と会話し、仕事への向き合い方(心の中の姿勢)について本人の気付きを促す事でした。
姿勢に関する気付き(To be)がなされたら現場の二律背反の状況で何から始めるか(To do)を今度は監査終了宣言の後で雑談しました。
監査が終わったら本社の担当役員にも監査報告書を提出します。
役員には現場を良く見なさい「現場の現は王が見る・・・それに場と言う字ですよ・・」と役員昼食会などの時に言い添えます。
監査役の仕事は不正を暴くのではなく不正をしない様に姿勢を正す事なのだと先輩経営者や〇〇先輩監査役から教わりました。
最近のM自動車の走行距離データの不正やT大手電気メーカーの不正会計は全て姿勢から生じているのだと合点しています。
数値だけを追い求めている経営者の姿勢、上司に逆らわない部門の風土・・・もっといえば財務諸表の数値のみで株価を操る金融業界の横暴・・・それらもそう言う事です。)
----------------------------
>【七十歳夏の帰省】の1ページの半分に目を通したとき、気が付けば、胸がドキドキ部屋
>をウロウロ>しておりました。
>長い間闘病生活で苦しんでおられると思ったと同時に、知らなかったとはいえ、とんだ
>DVDを送ってしまったと冷や汗がどっとでてきました。
>直ぐに、2度DVDを見直しました。庄司さんの現状に相応しくない場面もあるにもかか
>わらず、その現状に意味深いものとして鑑賞していただいて、とても救われた気持ちで
>す。
>ありがとうございます。
----------------------------
全く気にしていません。
私の高校の先輩で「〇〇さん」という立派な方がいます。(A社でブラジルの拠点を立ちあげた方です。販売会社A電子も彼無くば、成功しなかったでしょう)
A社およびA社のOBで現在の私の状況を唯一人承知されているその方が「・・・いずれその時が来たら、見た目にも痛そうなキリストよりは、できれば釈迦みたいなのがいいなあー、とは思いますが。」との文章を私へのメールの一部に入れてくれました。
例の「姿勢」という言葉と〇〇さんの意味深い諭しの言葉が私の中で化学反応をおこしました。
余談ですが自身も以前十字架にかけられ苦悶の表情から抜け出せない終焉のキリスト像に私が牧師だったら羽織りをかけて傷口を隠してあげるのになぁ・・・と思った事があります。
勤続30周年で休暇とお金をいただき妻とスペイン・イタリアツアーに参加した時です。
今改めて考えると、釈迦は悟られたのでしょうね・・・「姿勢」すら、意味の無いものなのだと。でも私は聖人でないからせめて死の前兆にもうろたえずに淡々と良い姿勢で生きたいと思います。
<後略>
平成二十九年十月二十五日の通夜、二十六日の告別式とも仕事のため出席できず、電報でお別れをした。
『A社で頼り切った先輩であり、A社を離れて二十五年間、温かく見守っていただいた人生の先輩でもありました。ご病気中の生き方も、「どうするかより、どうあるべきか」ということを、身をもって教えていただきました。ご恩返しもできず、痛惜の念もひとしおです。心よりご冥福をお祈りします。』
同年十一月三日に庄司宅を訪問した。事前に奥様、智ちゃん、薫ちゃんにも集まっていただいており、お亡くなりになるまでのお話を聞かせていただいた。
その話によると、ある日、枕元で家族が話をしていると、眠っていたかのような庄司さんが突然「それは、違うなあ」と言われたとか。しみじみ、庄司さんらしいなあと思いつつ、我々夫婦はおいとまをした。
庄司さんはいつも私と共にいる。そして、いまも教えを乞うている。