2021/05/03 倭姫命の御巡幸地下記5ヶ所参拝
5ヶ所の神社を参拝して、誰一人として会うことはなかった。コロナだけの影響ではないだろう。
子供達の遊び場ではなくなったかのようだ。感染の心配は神様だけである。
・18 伊勢国 藤方片樋の宮(津市藤方)【加良比之神社(2021/05/03) 】
(原文)
垂仁天皇の御代十八年 己酉、阿佐加の藤方片樋宮(ふじかたかたひのみや)に遷りまして、積(つみて)四箇年を歴(へ)て、斎き奉る。
(訳)
垂仁天皇が即位してから十八年たった己酉の年、倭姫命は阿佐加の藤方片樋宮に遷り、そこで四年間、天照大御神をお祀りした。
このときに、阿佐加の弥子(みこ)に坐す伊豆速布留神(いつはやぶるかみ)、百往(ももゆ)く人をば五十人取り殺し、
四十往く人をば二十人取り殺す。
という大事件が起こるが、その顛末は①荒ぶる神(伊豆速布留神)の平定に記載した。(2021/07/24)

・19 伊勢国 飯野高宮(松阪市山添町) 【神山神社(2021/05/03) 】
「神山(こうやま)神社」は、松阪市山添町の、櫛田川と、祓川の分岐点、神山(こうやま)の麓にご鎮座している。
、天照大御神の祭祀のために、倭姫命が身も心を浄める「禊」をされた川でそこから「祓川」と、命名されたそうである。

・20 伊勢国 多気佐々牟江の宮(多気郡明和町) 【竹佐々夫江神社(2021/05/03) 】

・21 伊勢国 磯の宮(伊勢市磯町)【磯神社(2021/05/03) 】
磯神社直ぐ前にある磯つつじ公園で食したおやつは、持参のバニラヨーグルトと生クリームカステラ巻きであった。
居心地の良いこじんまりとした公園である。


・24 伊勢国 宇治家田田上の宮(伊勢市楠部町)【神宮神田 (2021/05/03)・大土御祖神社(2021/05/03)】

塩の奉納
倭姫命は耳が聞こえない佐見都日女命に国の名を聞いた。返答ができずに、堅く焼き固めた塩を奉った。その誠実な行いを”慈(うつく)しび給ひて”、堅多社を定めた。その塩を作る「御塩汲入所」「御塩焼所」のあるのが御塩殿神社であり、佐見都日女命を御祭神とするのが堅田神社であり、今も内宮・外宮へ塩を納める起源になっている。
・伊勢市二見町荘【御塩殿神社(2021/06/05)】
私の希望で御塩殿神社に寄ったのである。車には妻とその父(88歳)と母(85歳)が同乗しており、たまたま駐車場が近くに無くて、少し離れた所に止めた。母親は車中に留まると言い、父親は少し迷いながらも”わしもいるわ。”という。母親は自分の体力と相談して、父親はそれを察しての発言であったのだろう。
「御塩汲入所」「御塩焼所」がなければ塩はできない。何事も二人三脚なのである。

亀山の地
私の母(92歳)を連れ、神社をお参りする前に訪れる所があった。
母が小学4年生の時、満州から一時帰国し、母の祖父の家で1年間を過ごした後、再度満州に赴いたのである。それ故、この亀山で過ごした日々は母の貴重な一年間であった。
近所の方とのお話により、82年ぶりにその場所の特定ができたのである。
それから母の祖父が過ごしたと思われる旧舘家住宅(枡屋)を訪れた。ここは亀山市の歴史的風致形成建造物に指定されている。ガイドさんにお世話になった。ありがとう。
午後、「奈具波志忍山(なくはしをしやま)の宮」の2つの比定地「忍山(おしやま)神社」と「布気皇館太(ふけこうたつだい)神社」を順にお参りをした。
倭姫命は一般的に訪れた地の有力者に、「汝の国の名は何ぞ」と問うと、有力者はこの地の特色を付け名前を答えている。例えば、この亀山の地での有力者は「味酒(うまさけ)鈴鹿の国の奈具波志忍山」と答えている。そこで有力者は神宮(かむみや)を造り天照大神を祀り、さらに神田と神戸を献上したのである。
このように、国の名を答えるということは、帰順の意を示すことだと「ことの葉綴り」というサイトの一節を参照した。
17 -a 鈴鹿国 奈具波志忍山の宮『倭姫命世記』=鈴鹿小山宮『皇大神宮儀式帳』 (亀山市野村)【忍山神社2021/06/26】

17 -b 伊勢国 奈具波志忍山の宮『倭姫命世記』=鈴鹿小山宮『皇大神宮儀式帳』 (亀山市布気)【布気皇館太神社2021/06/26】

倭姫命との静かな対話 in summer
テレビの向こう側で連日メダルを争っている間、倭姫命の巡幸地を辿ってみた。
今日、コロナ感染者1日2万人を越えた。
一方、訪れた11ヶ所の神社で、遭遇した参拝者はひとりであった。
大多数の神社は日本で一番安全な場所になってしまったようだ。
①荒ぶる神(伊豆速布留神)の平定
(原文)
阿佐加の弥子(みこ)に坐す伊豆速布留神(いつはやぶるかみ)、百往(ももゆ)く人をば五十人取り殺し、四十往く人をば二十人取り殺す。
かくの如く伊豆速布神(いつはやぶるかみ)に、倭比売命、朝廷(みかど)に大若子(おほわくこ)を進上(たてまつり)て、かの神の事を申せば、「種種(くさぐさ)の大御手津物(おほたなつもの)をかの神に進(たてまつ)り、屋波志志豆目平(やはししづめむ)け奉れ」と詔(みことのり)遣はし下し給ひき。
時に、その神を阿佐加の山の嶺に社を作り定めて、その神を夜波志志都米上(やはししづめあ)げ奉りて労(ね)ぎ祀りき。その時、「宇礼志(うれし)」と詔(のたま)ひて、その処を名付けて宇礼志と号(なづ)けたまひき。
(訳)
そこで、倭姫命は、父上でもある垂仁天皇へ使者(大若子命)を送り、指示を仰いだ。
「種々のものを捧げて、荒ぶる神のを和らげ鎮めて、阿佐加の里を平定するように」という詔により、宮を造りお供え物をし祭祀を行うと、やがて和らぎ鎮まった。
そのとき、倭姫命は「宇礼志い(嬉しい)」といったという。
今でも嬉野という地名が残っている。
後、この神社は伊勢国司北畠満雅が阿坂山に砦を築く時に社地を山から移したのが、阿射加神社(大阿坂)である。
その里宮が阿射加神社(小阿坂)であり、創建にかかわった大若子命は境内社の大若子神社祀られている。
・松阪市大阿坂町【阿射加神社(大阿坂)(2021/07/24)】
神社の横に龍天大明神の起源と言われる宮池がある。
その周囲の一角を少し歩くと、白米城のハイキングコースに合流する。
その「白米城」は現在では「阿坂城跡」と呼ばれる。
すべてが繋がっていく。



・松阪市小阿坂町【阿射加神社(小阿坂)(2021/07/24)】
阿射加神社(小阿坂)では、その年の豊作を占う御火試し・粥試し神事が行われている。
今年『氏神』というTV番組で紹介されていたのを思い出した。
このような 日本の文化はデーターベース化して残して欲しい 。



②櫛田川の下流域
・松阪市櫛田町【櫛田神社(2021/07/25)】
大若子(おほわかご)の命に、「汝が国の名は何そ。」と問ひ賜(たま)ふ。白(まお)さく、「百張(ももは)り蘇我の国、五百枝刺(いほえさ)す竹田の国。」と白(まお)しき。
其の処に御櫛落(みくしお)とし給(たま)ひき。 其の処を櫛田(くした)と号(なづ)け給ひ、櫛田の社(やしろ)を定め賜ひき。
倭姫命は櫛田社を定め、重臣の大若子命を祭神としてお祀りした。
今もその神社のすぐそばを櫛田川が流れている。
伊勢の神宮の斎王となる皇女は、伊勢に向かう「斎王群行」のときに、この櫛田川で、ご自身の「櫛」を捨て、天照大御神に仕える決心をしたといわれている。
櫛田神社は、後世、九州の博多へと勧請された。
博多の総鎮守の櫛田神社となり、有名な博多祇園山笠は、今も続いている。



・松阪市魚見町【魚見神社(2021/07/25)】
櫛田の社から船に乗り、幸行し、櫛田川の河口に到った。時に魚が自然に集まり、船に乗ってきた。倭姫命はそれを見て喜び、「魚見社」を定めた。
(櫛田の社)是の処従(よ)りして、御船(みふね)に乗り給ひて、幸行(みゆ)きしたまひて、其の河後(かはしり)の江に到ります。時に、魚自然(まなおのづから)に集まり出でて、御船に参り乗りき。尓(そ)の時、倭姫の命見そなわし悦び給ひて、其の処に魚見(いをみ)の社を定め賜ひき。
櫛田川周辺の田圃の黄緑が映えて、思わず神社の中から鳥居越しの景色をカメラに納めた。


③宮川の河口の大湊と神社港(かみやしろこう)
宇治の五十鈴川の川上に御殿を建てる良きところがあると、大若子命の知らせにより、倭姫命一行は御船で宮川を下り河口の三角州まで来た。
その小浜で鷲鳥の翁と出会った。倭姫命は「喉が渇いたので水はありませんか」と尋ねたら、その翁は美味しい水を汲み、それでご馳走をした。
それで倭姫命は「水饗(みあえ)神社」を定め、出会った場所を「鷲取りの小浜」と名付けた。
其の処従り幸行すれば、小浜(をはま)有り。
其の処に鷲(わし)取る老公(おきな)在りき。
時に、倭姫命、「御水飲(みもひまゐ)らむ。」と詔(の)りはまはく、尓(そ)の老(おきな)に、「何(いづ)れの処に吉き水(もひ)在りや。」と問ひ給ひき。
其の老(おきな)、寒(ひや)やかなる御水(みもひ)を以ちて御饗(みあへ)奉りき。
時に讃(ほ)め給ひ、水門(みなと)に水競(みあへ)の神の社を定め賜ひき。
其の浜の名を「鷲取り小浜(をはま)」と号(なづ)けたまひき。
この伝説には二つの比定地がある。
一つは伊勢市神社港の「御食(みけ)神社」でその境内の「辰の井」から湧き出る清らかな水であり、
一つは伊勢市大湊町「水饗(みあえ)神社」で、美味しい水は下記写真の「忘れ井」から汲みだされたとされる。
・伊勢市神社港【外宮摂社ー御食神社(2021/08/01)】辰の井


・伊勢市大湊町【水饗神社(2021/08/01)】忘れ井
水饗宮は明治に日保見山八幡宮の一角に移された。




・伊勢市二見町茶屋【内宮摂社ー堅田神社(2021/08/08)】
宮川から伊勢湾へ、そして二見から五十鈴川の川上へ向かおうとしたとき、佐見都日女(佐見都姫)と出会った。
然(しか)して、二見の浜に御船(みふめ)に坐(め)して、時に大若子(おほわくご)の命に、「国の名は何そ。」と問ひ給ふ。
白(まを)さく、「速両(はやふたたび)二見(ふたみ)の国。」と白しき。
尓(そ)の時、其の浜に御船を留(さしよ)せ給ひて坐(おは)しますとき、佐見都日女(さみつひめ)参(まゐ)り相ひき。
「汝(いまし)が国の名は何そ。」と問ひ給ひき。
御詔(みことの)り聞かず、御答へも答へ白(まを)さずして、堅塩を以ちて多く御饗(みあへ)奉りき。
倭姫命慈(うつく)しび給ひて、堅多の社と定め給ひき。
時に大若子の命、其の浜を御塩浜(おほみしほはま)並びに御塩山(おほみしほやま)と定め奉りき。
「汝が国の名は何そ。」、佐見都日女はみことのり聞かず、御答へも答へ白(まを)さず堅塩を以って多く御饗(みあえ)奉りき。
倭姫命は佐見都日女の耳が聞こえないと分かった。
倭姫命、慈(うつく)し給ひて、堅多の社と定め給ひき。
奥に仮宮がある。本宮は立替中である。
立替て、また立替て、いつまでも変わらない本宮。
日の本は常世の国。
・伊勢市二見町江【内宮摂社ー江神社(2021/08/08)】
五十鈴川の入り江に到着した倭姫命は、佐美川日子命に迎えられ、「この河の名は何ぞ」と問うと「五十鈴川の河尻」と答えた。その処に江社を定めた。
その処従(ところよ)り幸行して、五十鈴河後(いすずかはじり)の江ひ入り坐しき。時に、佐美川日子(さみつひこ)参り相ひき。問ひ給はく、「此れの河の名は何そ。」と。白(まを)さく、「五十鈴河後(いすずかわじり)」と白しき。
其の処に江の社を定め給ひき。
江神社は音無山の山麓に位置し、五穀豊穣の三柱(長口女命、大歳御祖命、宇加乃御玉命)が鎮座されている。
しかし、なぜか祭神に佐美川日子命の名がない。

・伊勢市二見町松下【内宮摂社ー神前神社(2021/08/08)】
五十鈴川の河口の入り江の地で、倭姫命は荒崎姫と出会った。
いつものように「汝が国の名は何ぞ。」と問うと、「皇大神の御前にある荒崎でございます。」と答えた。
倭姫命は「皇大神さまの御幸の御前が荒らしとは、恐ろしい」
ということで、荒崎を神崎と変更し、神前(こうざき)社を定めた。
又、荒崎姫参り相ひき。国の名を問ひ給ふ。白さく、「皇太神御前(すめおほみかみみまへ)の荒崎(あらさき)。」と白しき。「恐ろし。」と詔りたまひて、神前(かむさき)の社を定め給ふ。
当初は神前岬の海岸にあったが、明治に二見海岸の小井戸口山の山頂に遷座した。
お蔭で、掲載した写真のように、夏の木漏れ日の中、260段余りの階段と格闘することになった。

・天照大神の御鎮座後の御巡幸地 伊勢市二見町江【内宮摂社ー粟皇子神社(2021/08/08)】
倭姫命が志摩の国を回った帰り、池の浦で御贄を奉じた地元の神を淡海子神と名付けら、社を定められた。
ホテル「海の 蝶 」の裏の浜にあり、親切なホテルの受付で散策マップをもらって無事参拝できた。
神社から見る海は、俳人山口誓子が詠んだ句がある。
---春潮に 飛島はみな 子持ち島---
本当だ、3組み全部子連れだ。

倭姫命との静かな対話 in last summer
テレビの向こう側で、連日パラリンピック競技でメダルを争っている。
デルタ株のコロナ感染は強力で、ワクチン不足が問題になっている。
千葉にいる娘のために、愛知と三重の両家が、ワクチン予約に一肌脱いでPCと電話での10分間の予約合戦。
愛知が勝利を納めた。なんとも有難いことだ。
さて、2021年08月29日(日)、下記①⇨②⇨③と、ほぼ倭姫命の巡幸通りの地を辿った。
訪れた神社は8ヶ所で、遭遇した参拝者は一人もいなかった。
①櫛田川上流の神戸神館神明社(飯野高宮)から櫛田神社に下り、菜々美神社とその対岸の魚見神社へ至る櫛田川沿いの神社 ②天照大神のお告げと大与度社の比定地である竹大與杼神社 ③伊蘇宮を流れる寒川(外城田川)を小船で遡り定めていった、狭田国生神社、坂手国生神社、御船神社
以上、の神社であるが、ほぼ倭姫命の巡幸通りの地を辿るという意味で、櫛田神社、魚見神社は2回目だが欠かせなかった。
①櫛田川を下る(2021/08/29)
櫛田川上流の神戸神館神明社(飯野高宮)から櫛田神社に下り、菜々美神社とその対岸の魚見神社へ至る櫛田川沿いの神社
・19 伊勢国 飯野高宮(松阪市下村町) 【神戸神館神明社(2021/08/29) 】
飯野高宮の比定地は前出の「神山(こうやま)神社」と「神戸神館神明社(かんべこうだてしんめいしゃ)」がある。


・松阪市櫛田町【櫛田神社(2021/08/29)】
前回から一か月ぶりの参拝である。
大若子命と一緒に櫛玉命(くしたまのみこと)が祀られている。
倭姫命の櫛にちなんで、美容・理容業界のゆかりの神社になっており、「櫛まつり」が行われている。
・松阪市魚見町【魚見神社(2021/08/29)】
二度目の参拝で、この鳥居越しの黄緑の稲は、刈り取られ土色になっていた。
・松阪市上七見町【菜々美神社(2021/08/29)】
魚見社からしばらくすると、其れより幸行(みゆき)なるに、御饗(みあへ)奉る神参り相ひき。
「汝(いまし)の国の名は何ぞ」と、問ひ給ふ。
白(まお)さく、「白浜真名胡(しらはままなご)の国。」と申(まお)す。
其の処に、真名胡(まなご)の神社(かむやしろ)を定め賜ひ。
「真名胡神社」は現存しないが、魚見神社と櫛田川を挟んで対岸(右岸)の地に「菜々美神社」があり、この神社が「真名胡神社」であるという説がある。
②大与度社と天照大神のお告げ(2021/08/29)
櫛田川と祓川の地から海を進み、近くに佐佐牟江 宮を定め、すぐ近くに大与度社を建てた。
その時、大淀の浜辺で天照大神は倭姫命に告る。
「この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪(しきなみ)よする国なり、傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり、この国に居らんと欲う」と。
・多気郡明和町【竹大與杼神社(2021/08/29)
竹→多気、大與杼→大淀、で今の多気地方の大淀地区(海のすぐそば)にある神社

③伊蘇宮から寒川(外城田川)を遡る(2021/08/29)
時に、倭姫の命詔(の)りたまはく、「南の山の末(は)を見給(みたま)へば、吉(よ)き宮処(みやどころ)有る可(べ)く見ゆ。」と詔(の)りたまひて、御宮処覔(おほみやどころま)ぎに、大若子(おほわかご)の命を遣はしき。
「南の山の尾根を見ていると、この伊蘇の宮より良い宮があるように思う。」その宮処を探しに、大若子(おほわかご)を遣わした。
倭姫の命は、皇太神(すめおほみかみ)を戴(いただ)き奉りて、小船(をぶね)に乗り給う。
丁度、私が立っている場所から、倭姫の命は、小船に乗って外城田川(ときたがわ)上流へ遡ったようである。
御船(みふね)に雜(くさぐさ)の神財(かむらから)並びに忌楯桙等(いむたてほこども)を留め置きて、小河(をがわ)従(よ)り幸行(みゆき)したまひき。
神宝や危険を避ける楯鉾を御船に残し、倭姫命は小舟で小川を進む。
其の河にして、御船後(みふねさが)り立ちき。
神宝を積んだ御船の進みが遅れて立ち止まった。
尓(そ)の駅(はゆま)の使ひ等、「御船宇久留(みふめうくる)=後る」と白しき。
その御船の従者は、「船が遅れる!」と叫んだ。
其の処を「宇久留(うくる)」と号(なづ)けき。
その処を「宇久留(うくる)」と名付けた。
上流は今の玉城町と多気町に当り、荒木田氏(内宮の禰宜)が開墾していたので、狭田国生神社・坂手国生神社・御船神社はすべて内宮摂社である。

・度会郡玉城町佐田【狭田国生神社内宮摂社(2021/08/29)】
その処(宇久留)より行幸(みゆき)するに、速川比古詣で相(あ)ひき。「汝が国の名は何ぞ」と問い給ふ。白(もう)さく、「畔広(あぜひろ)の狭田(さた)の国と白して、佐佐上の神田を進(たてまつ)りき。その処に速河狭田社を定め給ひき。
速川比古命が神田を献上して速河狭田社を定めた。速河は外城田川のことで、狭田は川の支流に挟まれた細長い田のことをいう。
・度会郡玉城町上田辺【坂手国生神社内宮摂社(2021/08/29)】
其の処従り幸行(みゆき)するに、高水の神参り相(あ)ひき。
「汝(いまし)が国の名は何そ。」と問ひ給ふ。
白さく、「岳(をか)高田深(たからふか)逆手(さかて=田上村の一部)の国。」と白して、田上の御田を進りき。其の処に坂手の社を定め給ひき。
牛尾崎池のすぐ近くの丘の森の中にあり、石畳の参道を登り切ったところに鎮座している。
この神社の裏に回ると重機で森を開発している現場が見える。
パソコンでマップを眺めると、何ができるのであろうか南北から神社を挟み撃ちである。
池の灌漑用水を守る高水上命を怒らせないといいが。
・多気郡多気町土羽【御船神社内宮摂社・牟弥乃神社内宮末社(2021/08/29)】
其の処従り幸行(みゆ)きするに、河尽きき。
其の河の水寒く有りき。則(すなは)ち寒河と号(なづ)けき。
其の処に御船(みふね)留め給ひて、則ち其の処に御船の神社(かむやしろ)を定め給ひき。
外城田川を守る大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ )を祀っている。また、倭姫命が定めた牟弥乃神社(むみのじんじゃ)が同時に祀られ、川の守り神の「大水上神」の御子の「寒川比古命」・「寒川比女命」が同座している。
かつて荒木田氏(内宮の禰宜)が開墾した、実りの稲穂の中のあちこちに、太陽光パネルが設置され、常世の国は涙を流している。