御巡幸地(3)


『倭姫命世紀』によると「五十鈴の宮」を定めるまで、多くの宮(元伊勢:24ヶ所)を定めた。
今まで巡ってきた軌跡を眺めてみると、コロナ禍で県外の宮は自粛し、また意識なく巡幸の順番を守っていない場合もしばしばあった。
巡幸は、順番が大きな比重を占めると、ようやく気付き始めたので、最後に上手くつじつまを合わせる手立てはないか思案中である。

●これからは、「五十鈴の宮」を定めるまでの残りの元伊勢をなるべく順番通り巡る。
●倭姫命以前に巡幸された豊鍬入姫命の軌跡を辿る旅は県外で離れているので、順番は気にしない。
●「五十鈴の宮」を定めた後以後に倭姫命が関連する伝承を辿る旅 は出来るだけ固めて行くことにする。
●最後に天照大御神誓願の地である、五十鈴の宮(皇大神宮)を定めた様子を「倭姫命世紀」に見てみよう。
上記、狸の皮算用。
しかし、ちょっとは、気楽になった。
この歳で、生真面目は心身共に悪い。

磯部に残る伝承   2021/10/10

倭姫命が五十鈴の宮(皇大神宮)を定められた後の伝承地である磯部の地を巡った。
五つ星ホテルを右に見ながらすぐ伊勢道路に入った。

ホテルで一泊するお金があったら、あちこち訪れながら、その日の終盤に地元の温泉で疲れを癒し車中泊。
しかし、「歳相応の旅行の仕方があるでしょう」…と娘は言っている。
歳とは関係ないと思うものの、もうちょっと贅沢な旅をすれば良かったと後悔したらどうしようと迷いも生じる。
妻は学生当時の5人組で、幅広く、時には五つ星クラスのホテルにもお泊まりをしている。
私は旧友が好きな一世を風靡したユースホステルに泊まろうと思う。今でもある所にはあるようである。

天の岩戸

伊勢道路の途中に神路ダム湖が見える
右手に鳥居が見えてくる。
その鳥居を車でくぐり抜け、すぐ横にあるダム湖の道を走り抜け、山道を暫く走ると駐車場に着く。
そこから徒歩数分で下写真の天の岩戸の鳥居に辿り着く。

おうむ岩(展望台)

田圃の季節の移り変わりが想像される。
広範囲に展望がきく。
景色は雨上がりの中でしっとりと目に映える。


おうむ岩(倭姫機織場)

神代と機織りの関係といえば、天照大御神(姉)が須佐之男命(弟)を高天原から追放した直接のきっかけとなった事件である。
天照大神は機織娘と話をしていたら、天井を突き破って皮を剥がれた馬が落ちてきて機織娘が亡くなった。弟の須佐之男の素行の悪さに日頃から頭を痛めていた天照大御神は、その事件で天の岩戸に閉じ籠り、日本は暗黒の世界になった。
岩戸から天照大神を誘い出すために、機織の祖神の建葉槌命(たけはづちのみこと)が文布(あや)織った。
という話で、この地を倭姫命が供養したとか。
天照大御神と倭姫命を天の岩戸で結びつけた伝説であるのか。
『君の名は。』の映画に登場する架空の「宮水神社」の御祭神は「倭文神建葉槌命」とされているとか。
「宮水 三葉」の【葉】はこの御祭神の【葉】なのか。
確かに、三葉は組紐を組んでいた。ばあちゃんは機織りをしていた。

おうむ岩の岸壁はその名の通り、「語り場」にある拍子木の音は「聞き場」で鮮明に聞き取れるのである。


伊雑宮( 2021/10/10)

【ことの葉綴りから抜粋】
天照大御神さまが、伊勢の神宮(皇大神宮)にご鎮座された、翌年、志摩国から、昼夜鳴きやまぬ真名鶴が、皇太神(すめおほみかみ)さまに、千の穂が実稲を献上したいと咥えて飛んできました。別宮「伊雑宮(いざわのみや)」のご鎮座と、「御田植祭」の由来となります。
倭姫命が真名鶴伝説の縁で伊雑の宮を定め、地元の神である伊佐波登美命(いざわとみのみこと)の創建した宮と伝えられる。

伊雑宮の付近には登録有形文化財に指定されている二階建てのウナギ料理店「中六」がある。
妻の実家に行くと、必ずこの「中六」に誘われる。
亡くなった義兄の写真を店の畳上の和テーブルに飾り、一緒の食事である。
そして、折り詰めを一つ頼み、神棚に供える。

そう、何十回も見た、いつもの光景


倭姫命旧跡

伊雑宮の北側に令和2年12月吉日建立


志摩市磯部町恵利原【伊雑宮所管社ー佐美長神社( 2021/10/10)】

「奈尾之根(なをしね)の宮」に集まった神々の中の一人、大歳神が正殿の祭神である。
真名鶴伝説の中の稲の生育地を千田と名付け、その鶴を上記五穀豊穣の神である大歳神としてその場所にお祀りをした。
その右側の小さな4つの祠が並んでいる。地元の神である伊佐波登美命(いざわとみのみこと)とその子孫をお祀りしている。